会社概要

エーゼットは、豊富な経験、人脈、情報を広め、
全国の中小企業の経営者、これからの起業家と真の成功を目指します。

会社情報

社名 株式会社エーゼット
(AZ Co.,Ltd.)
事業内容 集客・経費削減に関するコンサルティング
仮想通貨マイニング事業
インターネットラジオ局
オートテレコール導入のご提案
ジョイントビジネス事業
特許取得及び特許商品の企画
製造に関するコンサルティング
所在地等

所在地等

●本社

〒104-0061

東京都中央区銀座6-6-1 銀座風月堂ビル5階

TEL:03-6215-8408

FAX:03-6831-2667

設立 平成26年1月15日

資本金 1,000万円

 

エーゼットの経営姿勢

効率よく仕事で成果をだし、従業員や家族を幸せにする経営者を一人でも増やすことを目指しています。

1,「集客にかかる手間」を 97%カットし、経営者が「好きな事」に時間を投資できるシステムの提案

2,営業力はあるが有力商品の生み出せない企業と、有力商品はあるが営業力に悩む企業を結びつける(ジョイントビジネス)

3,これから起業する、会社を設立する起業家の方のリスク最小化と遠回りをしないコンサルタント

5つの行動指針

1,enjoy:仕事は楽しく
2,happiness:他者を幸せにすること=自分が幸せになること
3,connection:繋がりを大切に
4,communication:意思の疎通を図る
5,risk management:リスクを未然に防止

代表取締役 增田惠至について

1966年3月 岐阜県岐阜市生まれ。

-直近の経歴-
2013 年 5 月 株式会社ニューテック設立
2013 年 12 月 ニューテック株を上場会社 FTGに株式の70%を売却し、同グループ傘下に入る
2014 年 1 月 株式会社エーゼット設立
2016 年 6 月 株式会社ニューテック代表取締役社長辞任

代表からのメッセージ

弊社株式会社エーゼットのホームページにアクセスいただき、ありがとうございます。
代表取締役・増田 惠至(ますだ・けいじ)です。
このページでは私の自己紹介と共に、事業への想いをお伝えします。
少しだけ長くなりますが、お付き合いください。

1966年3月 岐阜県岐阜市生まれ。

私の幼少期に事業家だった父は本業とは別で株式投資に手を出し失敗し、それが原因で本業にまで多額の借金を作り倒産。
そして私が小学校4年生の時に母親は別の男性を好きになり離婚。
その後、3度再婚した父はギャンブル好きが治らず借金が膨れ上がり自宅も売却する事になり遂に、
1983年(当時17歳)借金による一家離散により高校 2年生で私はたった独り社会に放り出されました。
私は生きていく為に高校を中退し、それまでの修学旅行の積立金を返金して貰いそのお金を握りしめ畳を3枚購入し、先輩の親が経営している鉄工所2階の物置スペースにそれを敷き部屋を作り住込みで働かせて頂きました。
そこから私の社会人生活はスタートしました。

周りの同級生は高校生活を楽しんでいる中、私はどの仕事も長続きせず2〜3ヶ月で辞めてしまいアルバイトを転々とし、只々その日を生き延びるというその日暮らし生活を繰り返すだけの毎日でした。

そんなその日暮らしの生活をしていた私に転機が訪れたのは20歳の時でした。
私は初めて訪問販売の世界に飛び込みました。

この会社は軍隊の様な営業会社で年功序列等一切関係無く支社長以下は毎月の様に役職が変わる様な会社でした。

社員教育が非常に厳しい会社で入社しても3ヶ月以内で辞めていく社員が多数いました。

そんな厳しい会社ではありましたがプロセスは一切関係無く、結果が全てという考えの基、歩合給が非常に高い会社でした。

当時、私は高校中退という事で変な劣等感を持っており『高卒や大卒の同級生より絶対稼いでやる!』という強い気持ちを持ち休日も自ら返上し契約を取りまくりました。

そんな私は常に全国トップ3以内の営業成績だったので毎月150万〜300万円のお給料を頂きました。

ちなみに30年以上経った今でもその会社は存続しております。

余談ですが当時営業で外回りをしている時、私の頭の中には常に浜田省吾 氏の「MONEY」という曲が流れてました。
生き別れになっていた父と再会したのもこの時期で父が抱えていた借金を全て返済し、また一緒に住める様になったと喜んでいたのも束の間、父が癌に倒れ余命3ヶ月の宣告を受けました。
父に残された時間は最大限そばに居たいと願い、営業成績を絶対下げない事を条件に、契約さえ取れれば昼であろうが何時でも関係無く、父が入院している病院に帰っても良いという特別な働き方を許してもらいました。
そして私は父の病院で寝泊まりしながら寝る間も惜しんでがむしゃらに本を読み、本で得た知識を試す為ひたすら行動しまくり、自分の感情をコントロールし短時間でも集中して効率的に働くオリジナルのノウハウと思考力を身に着けたのです。(今のノウハウとは比べものにならない程、低いレベルですが)

余命3カ月と言われながらも結局約1年間生きてくれた父を看取り、その後 訪問販売のスキルとノウハウを武器に、自ら会社を立ち上げ、たった独りで事業家の道へ歩み出したのが1987年(当時21歳)でした。

社員も増え順風満帆に事業拡大を続けていたその頃、私の器以上にお金が毎月、毎月、手に入り天狗になっていた私はお金の大切さ、お金の価値有る使い方が分からず、価値のないバカみたいな事にお金を使いまくっていました。

そんな事をしているとお金というものは逃げて行くもので、お金に嫌われた私は

・事業拡大の為にFC加盟していたFC本部会社が、社長の資金持ち逃げと失踪によって倒産。
・その損失を取り戻そうと投資を積極的に行い、いわゆる“うまい話”に手を出した結果 1億 7千万円の損失。
・我が社1番の主力商品の製造会社が受注代金を持逃げして失踪、倒産。

3つの事が立て続けに起き2005年(当時39 歳)私は再び無一文を経験することになったのです。
数ヶ月後、知人からの紹介で、ある会社の取締役社長に就任し、その会社の立て直しを依頼され、その会社で自分の再起も図りました。

その後、金融免許も取得して自身の投資会社を設立。

再起から7年、軌道に乗った頃に代表取締役社長の座を譲り、オーナー会長という立場へと場を移し暫く経った時、再び投資詐欺に合い、今度は2億4千万円を失い無一文になりました。
それは2012 年(当時46 歳)の出来事でした。
その時は今の妻と付き合う事になった翌月というタイミングでもありました。

無一文になった私はこんな生活に彼女を巻き込まない為にも彼女に別れを告げたのですが、そんな私に彼女は『別れても良いけど、あなたが以前の様に立ち直るまで側に居たい。あなたが立ちなったら私は消えるから』当時まだ23歳の彼女が46歳の私にそんな事を言ってくれたのです。
そして直ぐに子供を授かり末広がりになる様にと2012年8月8日、結婚式も挙げられないまま籍だけを入れドン底からのスタートとなりました。

『資産は全て失いましたが借金まで背負い込んだわけではない。私は亡き父の様に事業で失敗し妻と子供を失いたくない……。妻とこれから生まれて来るお腹の中の子供の為にもう 1度、這い上がろう!』
そう覚悟を決めました。

そして当時まだ日本では殆ど知られてなかったノンフロンガス(自然冷媒ガス)を広める事業で、 企業の電気代削減と地球環境保護を掲げ、2013年に株式会社ニューテックを設立。
この事業を全国展開するために、同年末にはノンフロンに注目してくれた上場企業 株式会社FTGに株式の70%を売却しグループ傘下に入り、オーナー社長から雇用社長へ転身しました。
大組織の中で雇われるという慣れない立場になり、不自由さやもどかしさに四苦八苦をする日々でしたが、自分が志したノンフロン化事業の知識の伝承と後任育成のため奮闘を重ねました。

それから 2 年。
2016年の初めに、私は自身が初めて会社を立ち上げた1987年(当時21歳)に掲げた目標を実現しようと決めました。

その目標とは

【 50 歳でプチリタイヤし、好きな事だけをしながら、60歳までの 10 年間で後継者を育てる。
そして60 歳というまだまだ元気に動ける身体の時に完全リタイヤし残りの人生を楽しむ】

でした。

しかし現在はこの目標の後半部の『完全リタイヤし〜』の箇所が少し変わり【〜完全リタイヤし残りの人生をこれまで支えてくれた妻、愛息との時間に100%使って生きる】に修正しました。

その目標を実現する為に
50 歳を迎えた3ヶ月後の2016年6月私は株式会社ニューテックの代表取締役を辞任し、2014年に私が100%株主で設立していた株式会社エーゼットに舞台を移し、【自分のこれまでの経験•人脈•情報網を活かし全国の中小企業の経営者や個人起業家の方々と共に真の成功を目指す】為に、ここから10 年間気持ちも新たに再度、新規事業に邁進する事をここに宣言いたします!

効率よく仕事をし、成果を上げ、従業員や従業員の家族を幸せに出来る経営者を1人でも多く育成したいと考えております。
そして弊社パートナー企業様と共に真の成功を勝ち取ります!

2016年10月 増田 惠至